「何も変わらない毎日」でも、ブログに書けることはある
「ブログを始めたいけれど、書くことがない」
そんなふうに感じたことはありませんか?
パートを掛け持ちし、毎日あっという間に過ぎていく日々。
特別なことなんて起きないし、「何かを発信できる人」ではないと思っていました。
でも、実際にブログを始めてみて気づいたことが。
変化のない日常が、誰かにとっては“気づき”や“役立つ情報”になることを。
今回は、そんな私がブログを始めて見つけた「書くこと」「続けること」の意味…
そして忙しい人こそブログをおすすめしたい理由を、リアルな体験とともにお届けします。
初期設定で心が折れそうになった話
正直に言えば、ブログを開設してすぐに挫折しそうになりました。
WordPressの初期設定、テーマの選択、プラグインの導入……わからないことだらけ。
それでも、「使いながら覚えればいい」と自分に言い聞かせて進めました。
ブログの良いところは、何度でも書き直せること。
間違えても、うまくいかなくても、あとで修正できるからこそ、初心者にこそ向いていると実感しています。
ブログに書くネタがない?実は、ネタは身近にあふれていた
「ネタがない」と感じるのは、まだ発信者の目で日常を見ていないからかもしれません。
子育てが一段落し、自分の時間ができたのに、何もしないで過ぎていく毎日。
でも、「何か新しいことを始めたい」という気持ちが芽生えたとき、ようやく気づいたんです。
人生は、ネタが沢山あることに。
小さな出来事、思いつき、感情の動き。
それらに目を向けるだけで、自然と「書きたいこと」が見つかるようになりました。
また、何気ないことでも、知りたいと思うことが増えてきました。
私の“やりたいことリスト”から見つけたブログネタ5選
① 銭湯巡りで心と体をリセット
「温泉旅行に行きたいけど時間もお金もない」
そんな時に気づいたのが、近所の銭湯の魅力。
最近では、レトロでフォトジェニックな銭湯や、女性向けの清潔なサウナ施設も増えていて、ちょっとした旅行気分を味わえる場所もたくさんあります。
→ 写真を撮って、感想や施設の情報を書くだけで、人気の「おでかけブログ」に!
② 英会話への挑戦|リアルな学びの記録を共有
娘の旦那様がアメリカ人で、会話のたびに娘に通訳してもらう私。
このままではダメだ、大人の英語学習をスタートしなくては!
「大人になってからの英語学習」は共感性が高く、検索ニーズも高いテーマです。
③ SNSを使いこなしたい|見る側から発信する側へ
これまでSNSは見る専門だった私。
今後は情報を届ける側として活用したいと考えています。
近所の美味しいお店を紹介したり、SNS投稿の工夫を試してみたり。
投稿の反応を見ながら、改善する流れをブログにすれば、それもひとつの価値に。
→「SNS初心者の挑戦記」として、発信のコツや写真の撮り方も紹介できます。
④ ファッションを楽しむ|黒ばかりのクローゼットからの脱却
黒い服、黒いバッグ、黒い靴。便利だけど、気づけば全部同じ色…。
そんな時、「少しずつ色を取り入れてみよう」と決意。
小物で季節感を出したり、コーデに挑戦してみたりする過程をブログに記録。
→ おしゃれ初心者が感じたリアルな発見は、読者の共感と応援を呼びます。
⑤ 子供部屋を趣味空間にリメイク
10年近く使っていなかった子供部屋。
今は、自分の趣味部屋にリメイク中です。
カフェ風のインテリアや、使いやすいデスク配置など、少しずつ変化する過程は、写真とともに記録すれば「暮らしを楽しむブログ」に。
→ DIY・模様替え記事は常に人気!季節ごとのアップデートも記事化できます。
小さな行動が、ネタを生む。意識を変えるのは「発信すること」
「何かしたいけど、何をすれば…」と考え込むより、まずは小さな行動を。
最初は「マネ」から入りたいと思います。
好きなブログの書き方を真似して、似たようなテーマで書いてみる。
発信することで意識が変わり、やがて、自分にしかない視点やスタイルが見えてくれたらいいと思っています。
「マネされる人」になれる日を夢見て
正直、私がやろうとしていることは、既に多くの人が発信している内容ばかりです。
今更ですが、それでいいと思っています。
誰かの真似から始まり、書き続ける中で、自分らしい言葉が育っていく。
そしていつか、私の発信を真似してくれる人が現れたら——それが何よりの喜びになるはずです。
【まとめ】変化のない毎日も、ブログがあれば“意味ある日常”になる
- 忙しくても、書く時間はつくれる
- ネタは、日常の中にすでにある
- 完璧じゃなくていい、まずは一歩を踏み出すこと
「使いながら覚える」「マネしながら学ぶ」「書きながら整える」
この3つを意識して、これからも少しずつブログを続けていきます。
もしこの文章が、同じように不安を抱えている誰かの背中をそっと押せたなら、それだけで始めた意味があったと、私は思います。